玉澤妙法華寺とは

日蓮宗本山 玉澤妙法華寺 本堂

日蓮宗本山 玉澤妙法華寺 本堂

妙法華寺は、日蓮聖人の本弟子で六老僧(ろくろうそう)第一の弁阿閣梨日昭上人(べんあじゃりにっしょうしょうにん)が開創された寺である。もと鎌倉の浜にあった法華寺がその前身であり、宗祖が日頃、日昭上人を浜殿と呼んでいたのは、この浜の地名によるものである。宗門としては最も初期の寺に属する。

当山の古記録によると、身延を除けば妙本寺第叫、法華寺第二と誌(しる)されている。この古い歴史と霊宝の聖人ご真筆、『宗祖説法御影(せっぽうみえい)』、調度品等が聖人の息吹を今に伝えている。

縁起

弘安7年(1284)12月、越後の風間信昭により、鎌倉の浜にあった日昭上人の庵室(あんしつ)を寺としたのが起源である。

日昭上人は、宗祖の比叡山遊学中の学友であったが、聖人に共鳴し、宗祖が鎌倉で法華経弘通(ぐづう)を始めるとすぐ最初の弟子となった。

鎌倉の浜土(はまど)に草庵を構え、宗祖や他の門弟と共に教化活動を行い、その後、宗祖が身延に人山すると、日朗(にちろう)上人とともに鎌倉の日蓮教団の中心的役割を果たした。一門を日昭門流とか浜土門流と称し、近代は玉沢(たまざわ)門流と呼んだ。

当寺は、開創以降、数多くの移転にあったが、歴史の風雪に耐え今日に至っている。なお現在の位置は、文禄3年(1594)14世日苞(にっぽう)上人の代に至り、伊豆加殿(かどの) 村に移転してから27年後、15世日産(にっさん)上人が玉沢に移したものである。

元和7年(1621)、養珠院(ようじゅいん)お万(まん)の方・英勝院お勝の方・太田道灌(おおたどうかん)末孫らの浄財で完成した大伽藍(がらん)は、18間4面の大本堂・祖師堂・五重塔・大客殿・大中書院・大小庫裡(くり)・塔頭(たっちゅう)24等、約240棟を数えた。ところが寛政3年(1791)に庫裡を除いて全山を焼失した。

現況

現在の伽藍は四十一世日桓上人(俳聖一瓢)等の再建によるものが多い。老杉に囲まれた境内およそ20,000坪に名勝百間塀を巡らして、風格ある本堂、祖師堂、大書院、大庫裡等が建ち並び、緑豊かな植栽と調和し、心安らぐ景観が形成されている。